――永遠亭、地下研究室。 噎せ返りそうなほど血の匂いが充満した部屋の中で、八意永琳は、実に3時間以上、休むことなく手を動かし続けていた。 目の前の手術台に横たわるはアリス・マーガロイド。脳みそがぱっくりと開かれているが、それ以外は何一つ傷のない綺麗な体だった。 その開かれた脳みそを取り出そうと、八意永琳は少しずつ、身長に、だが大胆に、何よりも優しくメスを入れていく。 まるでガラスで出来た子供を抱くように、そうまるで氷細工の宝石を愛でるように、優しく。 一見常軌を逸脱したとしか思えない光景だが、彼女の顔は真剣そのもの。そこに狂気はなく、あるのは使命感のみ。 集中し続けていたせいか染み出でた永琳の汗を、彼女の横に立っていた輝夜が慈しむように拭いた。 「大丈夫、永琳? 上手く行きそう?」 「上手く行かなければ幻想郷が滅びる……そんな気持ちでやってるわよ?」 「そうね、……きっと現実にそうなるでしょうし」 顔を暗くした輝夜に気づき、永琳は手を止めて輝夜の頬を優しく撫でた。 「心配しないで輝夜、きっと上手く行く。いえ、絶対に」 強い覚悟を瞳に宿し、硬い決意を唇で紡ぐ。 時は少し遡る。 「拷問が流行る、ですって?」 永遠亭の賓客室で、輝夜は軽く片眉を上げて賓客――レミリア・スカーレットを見つめた。 「あぁ。逆らいようのない運命、変えようのない運命がそれを教えてくれてる」 レミリア・スカーレットは運命を操る程度の能力を持っている。当然、操るためには少々だが先の運命を眺めることも出来る。 そして垣間見えた運命の中に、その狂った未来が見えたというのだ。 「……困ったわね」 「困ったなァ。きっと悲鳴が溢れるぞ、海が毀れるぐらい、山が広がるぐらい」 レミリアはともかく、輝夜は本当に困ったような表情を浮かべていた。 輝夜は幻想郷を愛している。月の悪しき光が届かない箱庭、月の不快な手が届かない遊び場を。 その幻想郷に虐殺が流行れば、箱庭は赤く染まり遊び場は廃れてしまうことだろう。それを危惧して、困った顔をしていた。 「……どうにもならないのかしら?」 「どうにもならないよ。幻想郷にて拷問が流行る。蔓延する血の匂いは更に人の心を狂わせ、妖の体を昂ぶらせる。  拷問する者と拷問される者の区別は最初だけ、強いものが弱いものを拷問する世界へと変わり、  最期に残る侠気は一番強い体を持つものだけ、最期に残る理性は一番強い心を持つものだけになる。  あぁ恐ろしい、恐ろしい!」 恐ろしいと口に出しながらも、レミリアの顔はとても愉快だとでも言いたげだった。 生き残る自信があるのか、それとも巻き込まれざるを得ない未来の未来よりも拷問だらけ未来の現在を楽しむことにしたのか。 どちらにしろ、そのにやにやとした顔つきはどこか歪みきっていた。 「こんな恐ろしい未来を私一人だけが知っているなんてとてもじゃないけど耐えられない。だからお前に教えに来た」 「嘘おっしゃい、確実にそういう未来を作りたいだけでしょう? 紡がれた言葉は脳にたまり心を濁らせる。  狂気の未来は言葉にたまり行動を濁らせる。どうしようもない波なら乗ってしまえ、幻想郷にはそんなので溢れているというのに」 「くくく、さすがに鋭い。流石はお姫様、流石は月の民。さてこれからどうする? 抗うか? 流されるか?  どちらにしろどちらでもない。何をしても結末は変わらない。……変わらないんだ」 「あら、言葉を少々濁したのは何故かしら? 変わる未来でも見えてしまった?」 「………蓬莱山輝夜。何を思いついた? 見えていたはずの未来が急激に霞んだ」 「『拷問が流行る』……変えようのない運命がそれだけなら案があるわ、そう思っただけよ?」 「……。ズルい手だ。お前んとこの薬師なら出来そうだ」 はぁ、とため息をついてレミリアは立ち上がった。いつのまにか傍で控えていた咲夜が日傘を広げる。 「お前以外に話せばよかったよ。あぁ残念だ。……まぁ回数は変わらない、我慢しよう」 「成功するかは分からないけどね」 「しないことを祈る」 吸血鬼であるにも関わらず両手を組んで祈るようなポーズをしたあと、従者を率いてレミリアは永遠亭を去っていった。 「永琳、全部聞いてたわね?」 その言葉にすばやく反応し、がらりと障子を開いて、永琳が部屋へと入ってきた。 「えぇ。……アナタの考えもね」 「じゃあ早速探してきて。『拷問者』を」 ――それに選ばれたのがアリスだった。彼女らがやろうとしていることは言葉にすれば至極単純。アリスを増やし、不老不死にして配る。 拷問をしたい者の近くに永遠に拷問出来る者一人がいれば、たとえ幻想郷で拷問が流行ろうと、蔓延る血にアリス以外が混じることはない。 そのための手術が、今、八意永琳が行っているものなのだ。アリスを増やしても、拷問を楽しませるためにはアリスがアリスでなければならない。 クローンでは駄目だ。いや、正確に言うとクローンだけでは駄目だという意味だ。クローンは所詮肉体が同じだけ。 アリスが得た知識、経験、記憶、感情感覚、それらはクローンは持ち得ない。 ならばどうするか――結論が、この手術だった。アリスの脳みそを取り出し、永遠の能力をかけてコンピューターと接続する。 そうしてクローンの方にはそのコンピューターと電波的に繋がっている機械の脳みそを入れる。それに永遠をかければ完成だ。 無論、アリスは同時に複数の拷問を受けるが――幻想郷のためならば仕方がないと彼女も受け入れてくれることだろう。 「あと少しで脳みそが取り外せるわ。傷一つつけなければ私の勝ち。いえ、私たちの勝ちよ」 「頑張って永琳……!」 「あの」 いつのまにいたのか、優曇華が二人の後ろに立っていた。 「何? 優曇華。今忙しいんだけど……」 「いえ、あの……実は話を聞かせていただいてたんですけど。ぶっちゃけそんな面倒なことしなくていい気がするんですけど。  八雲紫に拷問と尋問の境界を弄ってもらうとか、早苗って子に奇跡でも起こしてもらって、  レミリアさんに奇跡的に変えられないはずの運命を変えてもらうとか。なんでもありじゃないですか幻想郷」 「「…………………………………………………」」 優曇華の言葉で、沈黙が部屋を埋め尽くした。 「あ〜〜〜〜〜!! そうよね、考えてみれば!! 何もこんなことしなくてよかったわ! あーもーやってらんない。疲れた。」 脱力した永琳は、八つ当たりにとりあえず目の前にあったアリスの脳みそをぐちゃりと踏み潰した。 「はぁ。イナバ、お茶頂戴。永琳と私……そうね、アナタの分も含めて三人分」 「は、はい! すぐに!」 お茶に誘われたのが嬉しかったのか、優曇華は笑顔で部屋を出て行った。後に残されたのは単純なことを複雑に考えすぎた二人の天才だけ。 その片方が、疲れたようなため息をつきながらもう片方に話しかけた。 「ところで永琳、なんでアリス選んだの?」 「決まってるでしょ? 知ってるでしょ? 分かってるでしょ?」 「一応確認よ。せーのでいいましょうか」 「いいわよ、せーの!」 「「だってアリスだから」」