「かーん! かーん!」    魔法の森のアリス・マーガトロイドの家の近く木の前に立った霧雨魔理沙が、何度も何度もそう叫んでいた。   「かーん! かーん!」    何かを握っているかのような右手を振り上げ、木に当てた自分の握り拳に向かってヒュン、と降ろす。拳と拳がぶつかる度に、魔理沙は叫んでいた。  まるで金槌で木に釘を打っているかのような動作だが、彼女は何も持ってなどいない。ある種の狂気さえ感じるその奇行を、アリス・マーガトロイドはじっと見つめていた。   「ねぇ魔理沙、何をしているの?」    見ているのに飽きたのか、アリスがそう魔理沙に問い掛けた。それに反応して魔理沙は動作をぴたりと止め、ふぅ、と汗を拭ってアリスの方へと体を向けた。   「決まってるじゃないか、舞台の準備をしているんだ。私は大道具係だぜ? そしてアリス、お前は主役じゃないか」    わかってるだろ? とでも言いたげな怪訝な表情で、魔理沙が言い放った。   「えぇ、分かってる。分かってるわ魔理沙。でも台本をもらってないのよ」    そう言って、アリスは深いため息を吐く。   「そんなわけない。舞台はもうすぐだぜ? なのに主役が台本をもらっていないなんて」 「でももらってないのよ。だから、いつ始まるのかも分からないわ。あとどれくらいで始まってしまうの?」    くい、と首を横に傾げてアリスが尋ねるが、魔理沙は顔の前でブンブンと手を振った。   「教えないぜ。私は大道具係。それを教える係じゃないんだ。舞台を豪華に彩る係。舞台を貧相に仕立てる係なんだぜ」    それじゃしょうがないわね、とアリスは顎に手を当てた。   「おっと、悪いがアリス。そろそろ何処かへ行ってくれ。間にあわなくなる。本当に台本がないなら主宰に言えばいいぜ」 「そう……。ねぇ魔理沙、私もそれを手伝ってもいい?」 「駄目だ。大道具係は私と紅魔館、それに白玉楼や人里の連中で、お前は主役じゃないか」      そう冷たく返して、魔理沙は再びかーん、かーんと叫び始めた。舞台はまだ始まらないようだ。       *       「ぴかっ! ぴかっ!」    魔理沙の下を離れたアリスは、博麗神社の境内へとやって来て、両手を広げて空を見上げ叫んでいる博麗霊夢をじっと見つめていた。  そんなアリスに構うことなく、霊夢はずぅっと同じ言葉を叫んでいた。   「ねぇ霊夢、何をしているの?」    見ているのに飽きたのか、アリスがそう霊夢に問い掛けた。それに反応して霊夢は動作をぴたりと止め、こきこきと肩を鳴らしてアリスの方へと体を向けた。   「決まってるじゃない。舞台の準備をしているのよ。私は照明係よ? そしてアリス、貴女は主役じゃない」    わかってるでしょ? とでも言いたげなのほほんとした表情で、霊夢が言い放った。   「えぇ、分かってる。分かってるわ霊夢。でも台本がないから確認したかったの」    そう言って、アリスは深いため息を吐く。   「そんなわけないわ。舞台はあと少しで始まるのよ? なのに主役がもらっていないなんて」 「でももらってないの。ねぇ霊夢、主宰は何処にいるの?」 「まったく、そんなことも忘れてしまったの? 主役としての自覚が足りないわ」 「ごめんなさい、反省しているわ。御願い、教えて」    そう言って、アリスはぺこりと頭を下げた。が、霊夢はぷい、と顔を背ける。   「だーめ。私は照明係。それを教える係じゃないわ。舞台の上に昼を作る係。舞台の上に夜を作る係だもの」    それじゃしょうがないわね、とアリスはがっくりと肩を落とした。   「わかってもらえて嬉しいわ。あ、悪いけどアリス、そろそろ何処かへ行ってくれない? まだ照明の点検が終わってないの」 「そう……。ねぇ霊夢、私もそれを手伝ってもいい?」 「駄目よ。照明係は私と萃香と永遠亭、それに地霊殿の奴らで、貴女は主役じゃない」    そう冷たく返して、霊夢は再びぴかっ、ぴかっと叫び始めた。舞台はまだ始まらないようだ。       *       「らー。らー。らー。らー」    博麗神社を出たアリスは、今度は洩矢神社を訪れ、その境内で壊れたラジオのように歌う東風谷早苗をじっと見つめていた。  そんなアリスを気にするでもなく、音程も音階も歌詞もない歌を、ただ静かに早苗は歌い続けている。   「ねぇ早苗、何をしているの?」    見ているのに飽きたのか、アリスが早苗にそう問い掛けた。それに反応して早苗は歌うのをぴたりと止め、あーあーと喉を整えてアリスの方へと体を向けた。   「決まってるじゃないですか。舞台の準備をしているんです。私は音響ですよ? そしてアリスさん、貴女は主役じゃないですか」    わかってるでしょう? とでも言いたげなぼんやりとした表情で、早苗が言い放った。   「えぇ、分かってる。分かってるわ早苗。でも台本がないから確信できなかったの」    そう言って、アリスは深いため息を吐く。   「そんなわけないですよ。舞台はもう始まるんですよ? なのに主役がもらっていないなんて」 「でももらってないの。ねぇ早苗、主宰って――誰だっけ?」 「ええー? なんで分からないんですか。みぃんな知っているのに」 「知らないものは知らないのよ。ねぇ、誰?」    少しだけ強い調子で、アリスが問い掛けるが、早苗はうーんとうなりながら腕を組んだ。   「教えられませんよ。私は音響です。それを教える係じゃないんです。見えない舞台を作る係。消えない舞台を作る係なんですから」    それじゃしょうがないわね、とアリスはやれやれと肩をすくめた。   「あ、ごめんなさいアリスさん、そろそろ何処かへ行ってくれませんか? まだ音楽の調整が終わってないんです」 「そう……。ねぇ早苗、私もそれを手伝ってもいい?」 「駄目です。音響は私と妖怪の山、それに星蓮船の方々で、貴女は主役なんですから」    そう冷たく返して、早苗は再びらー、らーと歌い始めた。舞台はまだ始まらないようだ。       *       「ねぇ貴女たち。私の台本を知らない? 主宰が何処にいるのか知らない? 主宰が誰だか知らない?」    主宰を探してさまよっている内に見つけた大妖精、リグル、ミスティア、チルノ、レティとルーミアに、アリスはそう問いかけた。   「「教えないー!」」    ミスティアとルーミアはぷい、と顔を背けた。   「私たちは衣装係だもん!」    えっへん、と腰に手を当ててチルノが叫ぶ。   「私たちは役者を彩る係」    レティがのんびりとした口調で呟いた。   「そして役者を取り巻く係だよ」    リグルが何処か誇らしげに言う。   「だから教えられないんです」    申し訳なさそうな顔で、大妖精がそう返した。舞台はまだ始まらないようだ。       *   「あら……?」   *       「ねぇ貴女たち。私の台本を知らない? 主宰が何処にいるのか知らない? 主宰が誰だか知らない?」    主宰を探してさまよっている内に見つけた慧音、妹紅、映姫、小町にアリスはそう問いかけた。   「教えませんよ」    口に卒塔婆を当てて、映姫が言い放った。   「私達は演出だからな」    慧音は腕を組んでそう呟く。   「演出は観客を惹き付ける仕事」    日傘を差した幽香が微笑みと共にそう返す。   「それに観客を驚かす仕事さね」    うんうん、と何かに納得しているように頷きながら小町が言った。   「だから教えないのさ」    煙草を口に咥えた妹紅が煙と共にそう言葉を吐き出した。舞台はまだ始まらないようだ。       *   「ねぇ、他の役者は誰?」   *       「ねぇ香霖堂さん。私の台本を知らない? 主宰が何処にいるのか知らない? 主宰が誰だか知らない? 他の役者が誰なのか知らない?」    香霖堂に入るなり、アリスがそう叫んだ。   「全部知っているよ。でも教えない」    畳み掛けるようなアリスの質問に、霖之助はざっくりと冷たい言葉をぶつける。   「何故?」 「僕は脚本家だから、全て知っている。けれど、全て言えないんだ」    そんな、とアリスは悲しそうにつぶやいた。   「でもでも、何処にも台本がないの。私は何をすればいいの?」 「さぁね。僕は脚本を主宰に渡した。それで僕の役目はもう終わり。あとは観客たちに混じって楽しむだけだよ」    そう言って、霖之助はアリスを置いて扉の外へと出ていった。舞台はまだ始まらないようだ。       *       「ふぅ。疲れたわ……。少し、休もうかしら」    霖之助を追いかけて外へと出て行ったものの、すぐに見失ってしまったアリスはため息を吐いて大き目の石の上に座った。  主宰を探して飛び回っていた疲れが出たのか、うとうとと眠り始める。そんなアリスの近くに――のそりと大きな大きな犬が茂みから現れた。  魔法の森の瘴気に当てられて変異でもしたのか、真っ赤な目をぎらぎらと輝かせていた。グルルルル、と唸りながら、その犬はゆっくりとアリスに近づく。  そして大きく口を開き――がぶりとアリスの首に噛み付いて、その命を一瞬で、あっさりと奪った。   ――舞台はそれでも始まらないようだった。