『『        これは、ただ一人の少女を愛した男の話である。ただそれだけのよくある話、何処にでもある話。    少し歪んでいたけれど、彼はただ、彼女を愛していただけ。ただそれだけのよくある話、何処にでもある話。       *       「うーん、今日もいい目覚めだ」    そう呟いて、男は隣で悲鳴を上げるアリスを強く叩いて気絶させると、むっくりと体を起こして白い部屋から出て行った。   「うん、時間通りだ。目覚まし時計は今日も正確、っと」    アリスの体からは赤い色をした紐が伸びていて、その端は妙な機械につながっていた。  機械には時計があり、設定した時間を針が刺すと、電流が流れてアリスの体を感電させる仕組みになっている。   「さて、と。ご飯でも食べようかな」    顔でも洗ってきたのだろう、さっぱりとした顔で男が部屋に戻ってきた。  気絶しているアリスの首根っこを掴んでずりずりと引きずり、部屋を出て下の階へと歩いていく。  空いている手で白い階段を下りてすぐの扉をぐちゃりと開くと、男は床にアリスを放って、白い机の上に置いてあったストローのような物を持った。   「朝のジュースをいただくね」    機嫌良さそうに、男は白い部屋の天井からぶら下った何人かのアリスたちの中の一人の太股に、ストローのようなそれを刺してその端を咥えた。  それの先は注射器のようになっているらしく、男は刺した先からアリスの血液を吸いだしてぐいぐいと飲んでいる。  ぷはぁ、と息を吐いて口を離すと、血の付いた唇をぺろりと舐めて、男は再び床のアリスを掴んで部屋から出た。  部屋から出て廊下をずりずりとアリスを引きずりながら右へ行くと、白いテーブルや白い椅子のある広く白一色な空間に着いた。  おそらくはリビングルームだろう、部屋の端にはキッチンと思しき物が設置されている。男はアリスを掴んだままそのキッチンへと向かった。  コンロの前に立つと、アリスを優しくコンロの横に寝かせて、腰を手に当てて、よし、と呟いた。   「朝はシンプルに行こう」    そういって男はコンロの下の戸棚から包丁を取り出し、首にそれを刺した。カッとアリスが目を見開き、口からカヒュー、カヒューと息を吐く。  だが何秒も立たない内に呼吸が止まり、脈を触ってアリスの死を確認した男は、アリスの目の上辺りに包丁を刺して、ぐちゅりぐちゃりとアリスの目の周りに一周させた。  そのままくい、と手首を動かしてアリスの目玉をくり抜くと、もう片方の目も同じように取り出した。   「まずは目玉焼き」    水でアリスの目に付いた余計な肉を洗い落として、油をしいたフライパンの上に目玉を乗せてコンロに火をつけた。   「次はソーセーシ。……うん、くだらない駄洒落だね」    苦笑いをして、男はアリスの両指全部を丁寧に切り落とし、包丁で丁寧に爪を剥ぎ、中の骨をくり抜き出すと、フライパンに投げ入れた。  ソーセージと指をかけてソーセーシということなのだろう。たしかにくだらない駄洒落である。   「シンプルとはいうものの、やっぱり少しはお肉を食べようかな」    フンフンフンと鼻歌を歌いながら、男はアリスの太股を器用にそぎ落とした。そして片方の手に箸を持ってフライパンの中の物を転がし、  もう片方の手でそぎ落とした肉に塩を振ってバンバンと包丁の背で叩いた。   「こんなものかな」    白い皿に目玉焼きとソーセーシを乗せると、男は肉を焼き始めた。人の肉が焦げる嫌な香りが充満するが、男はむしろイイ香りとばかりにフンフンと鼻を鳴らしている。   「よし、完成っと」    焼き終わった肉を同じ皿に乗せて、それをナイフとフォークといっしょに白いテーブルまで運ぶと、男は椅子に座ってそれを食べ始めた。   「うん、おいしい。さすがアリスだね」    にこにこと笑いながら、男は口へと料理を運んでボリボリと租借している。と、ゴンゴンという音が男の耳に聞こえてきた。   「おや、来客かな。……あぁそっか、今日は彼が来る日だったね」    一人そう呟いて、男は部屋を出ていく。数分立って、男は別の男と共に部屋に戻ってきた。白い椅子を引いて来客を座らせると、男はその対面に座った。  来客はテーブルの上の料理に気持ち悪そうに顔をゆがめ、換気扇がないゆえに部屋に充満しっぱなしの人体の焼けた匂いに咽ている。   「すまないね、食事しながらで。でも今日は随分早かったね。どうしたんだい?」 「え? すまん、全く聞こえん」 「どーうーしーたーんーだーいー?」 「あぁもう全く聞こえねーよ!」 「やれやれ。……ちょっと目を瞑って耳を塞いでくれないか」    ため息をつきながら、来客はギュッと目を瞑って蹲り、更に耳を守るように手で覆った。  それを確認してから、男は立ち上がって鏡台の引き出しから――所謂スタングレネードを取り出し、ピンを抜いて床に放ると、来客と同じように目と耳を塞いで床に伏せた。  すぐさま凄まじい爆音と閃光が部屋に響く。しばらく待ってから、男は立ち上がって再び椅子に座った。   「これでいいかい? 聞こえるかな?」 「あぁ、聞こえる。全く、うるさいことこの上なかった。何より、気味が悪い」    そう言って来客の男は首を回して部屋の壁を気持ち悪そうに眺めた。それもそのはず、この空間には特に多くの『生きた』アリスが使われているのだ。  男と来客がお互いの声が聞こえなかったのはその生きた何十人ものアリスたちがみんな苦しそうなうめき声を上げていたがゆえなのである。  ――本当に、気味が悪い。来客は改めて強くそれを思った。スタングレネードの閃光と爆音をまともに受けた壁のアリスは白目を剥き、涎を垂らしている。  死んでいるアリスに変化はないが、その顔はどう死んだかが手にとって分かるぐらい歪んでいる。  白目か、歪み。どちらかの顔を浮かべたアリスが、この家の壁に隙間なく埋め込まれているのだ。いや、埋め込まれているというのは正確ではない。  そう、この家は――アリスだけで出来ているのだ。   「僕はリビングルームで一日の大半を過ごしているからね、生きたアリスは基本的にこっちに集中させているんだ」 「そういうことじゃない。そもそもアリスを使って建てたこの家自体が狂気の沙汰だと思うぜ」 「手厳しいね」    男は来客の暴言を気にする様子もなく笑う。そして、立ち上がって壁際まで歩くと、その壁を優しく撫でた。   「素晴らしい家なのになぁ。全てがアリスで出来ているんだよ? 壁も床も天井も。家の中の殆どもアリスの骨を加工して作ったものさ。  まさにここはアリスの家だ。そう思わないかい?」 「文字通り、な。あぁ気味が悪い。一体何十、何百、何千のアリスが使われているんだ、この家は」 「さぁ、分からないねそれは。死後硬直で硬くなったアリスを永遠亭特製の人体コーティングの薬で腐敗を止めて、  重ねて積み上げて時に溶接して、作り上げたからね。まだまだ大きくなると思うよ、この家は。僕はまだまだアリスを愛するつもりだから」 「オイオイ、地震でも来ようもんなら一発で崩れ落ちるじゃないか」 「そのときはまた作り直すだけさ」 「やれやれ……」    来客は深いため息を吐いて、目を下に落とした。今彼が座っている椅子と、それと一緒に置かれたテーブルも勿論アリスだ。  空気椅子のような体勢のアリスの死骸のお尻から手が伸びて、椅子としての機能を果たしている。  机はブリッジ状態のアリスを腹の辺りを魚のように切り開いて平らにし、何かの液体で固めたようだ。高さ調節のためだろうのだろう、腕の先から足が、足の先から腕が生えている。  嫌悪感丸出しの顔でトントンと手でテーブルを叩いてから、来客は男に話しかけた。   「たしか永遠亭の薬師を脅してアリスのクローンを次から次に作らせてるんだっけ? よく殺されなかったな」 「あぁ、それかい。本当は脅してなんかいないよ。人体実験材料を薬師が欲しがっていると小耳に挟んでね。  『それならクローンアリスを作りましょう、バレたら全て私の脅しによるものといえばいい』と提案したんだ」 「そこまでするか普通……」 「普通はするよ、愛しているなら」    そうのたまう男の表情には何もない。狂気すらも、その顔には浮んでいない。『当然のこと』と心の底から思っているのだ。  極限までイカれた男に対して、来客はやれやれと肩をすくめた。   「それで一体何の用なんだい? 時間にルーズな君がこんなに早く来るなんて、よっぽどのことじゃないか」 「え? あ、あぁそうだな。えーっと……」    来客が何故か言葉を濁したその瞬間――ゴゴゴ、と家が揺れ出した。   「嘘だろォ!? 噂をすれば地震かよ!」 「おやおや、しかも結構大きいね。これは崩れるかもしれないなぁ」    慌てた様子の来客と違って、男は呑気そうな声を出した。と、地震の影響だろう、どすん、と彼らの横に天井のアリスの一人が頭から落ちてきた。  そこそこ高い天井からの落下ゆえに、ぐちゅりと潰れて頭の中身が辺りに撒き散らされる。   「早速崩壊し始めやがった! オイ、のんびりしてないでとりあえず外へ――おい?」 「…………………………………………………………」    終始にこにこしていたさっきまでとは違い、男は真剣な顔で落ちたアリスを見ていた。   「おい、ホントにどうした? さっさと逃げるぞ!?」 「………………じゃない」 「は?」 「………………そっちじゃないよ、アリス」 「お前、何を言って――」    来客が何かを言おうとしたそのとき、再びアリスが落ちてきた。またも、頭から。   「ぐぉ、次から次じゃねーか……。何をぼーっとしているんだ、逃げようって!」 「そっちじゃないよ、アリス。僕はここにいる」 「何を言ってるんだオイ!! しっかりしろ!」    ガタガタと、来客は上を見上げている男の肩を揺らした。が、既に男は来客のことなど目に入っていないようだ。それどころか、邪魔だと言わんばかりに来客の体を振りほどいた。   「あぁそうか、苦心して作った家が崩れていくのがショックなんだな! それは分かる! 分かるが死んだらもう何も作れねーぞ!?」    そう叫んではいるが、来客は何となく理解していた。男が動かないのはそんな理由ではないと。   「クソ、もう知らん! 先に行くぞ!」    来客は男に背を向けて、出口に向かって走り出すが――すぐにその背中に「見てくれ!」と男の声がかけられた。  反射的に来客が振り向くと――男は立ち上がり、手を広げ上を見上げて満面の笑みを浮かべていた。   「お前、ホントに何を――」 「アリスが! アリスが僕にキスをしようとしてくれている!」 「はぁ!?」    間抜けな声を上げつつ来客が男の視線の先を見ると――ちょうど男の真上のアリス天井の何人かが今まさに崩れんとガタガタ揺れていた。   「何度言葉を並べても! 何度愛を捧げても! 何度唇を奪っても! 自分からは絶対にしてくれなかったアリスが!  僕にキスをしようとしてくれているんだ! それも何人もまとめていっしょに同時に! 何人も何人も何人も何人も何人もぐぎゃッ」    よく響く甲高い叫び声が決定的となったのだろう、天井のアリスたちはついに崩れ、頭から落ちていき――男を呆気なく潰した。  どんだけ馬鹿野郎だよ、と呟いて呆然としていた来客だったが――ハッとした顔をするととにかく逃げなくてはと、玄関のアリスでできた扉を開き外へと駆け出した。  来客が脱出した瞬間、アリスでできた白い白い家が完全に崩れていく。完全に崩れたその瞬間、ガスか何かに引火したのだろう、チリチリとアリスの瓦礫が燃え出した。  彼の耳には、何体ものアリスにキスをされ、何千ものアリスと共に死ねる男の嬉しそうな笑い声が聞こえた気がしたが――幻聴に決まってる、と来客は強く強く首を振った。        *        これは、ただ一人の少女を愛した男の話である。ただそれだけのよくある話、何処にでもある話。    少し歪んでいたけれど、彼はただ、彼女を愛していただけ。ただそれだけのよくある話、何処にでもある話。 』        さて、普通ならここで物語は終わる。だがこれは物語ではない、ただのお話、ただの事実だ。そう、俺のためのお話なのだ。  俺が読み返して自分は正気だと言い聞かせるための文章なんだ!  分かっているだろう、今これを読んでいるであろう俺! 三人称で来客の心情等を描写した。  どうだ、どこまでもマトモな男だったろう? この来客は!    俺はアリス料理を気持ち悪いと思った。――美味しそうだと思ったのは気のせいだ。  俺はアリスの調理で発生した匂いに咽た。――いい匂いだと思ったのは気のせいだ!    俺はアリスの机と椅子に嫌悪感を感じた。――俺も欲しいと思ってしまったのは気の迷いだ。  俺はあの男の愛の言葉を狂っていると思った。――俺もそう思うなどと思ったのは気の迷いだ!    俺がアイツの家にいったのは暇だっただけ。――どうやって永遠亭を脅したのかを聞きにいったわけじゃない!    俺は壁のアリスのうめき声を気味が悪いと思った。――いい音色だなんて思っていない!    俺はアリスの家を唾棄すべきだと思ったんだ! ――羨ましいなどと思ってない!    俺はあの男の死に様を馬鹿だと思ったんだ!! ――妬ましいとなど絶対に思っていない!!    俺は正気だ、今これを読んでいる俺。何度でも読み返せ。そして忘れるな、あの男が作った家、あの男の生き方の全てに感じたことを。  お前は正気だ。正気の人間だ。俺は、お前は、俺は、俺は。そうだ、決まってる、俺は正常だ。俺はまともな正常な人間だ!  俺は正常だ。俺は正常だ。俺は正常だ。俺は正常だ。俺は正常だ。俺は正常だ。俺は正常だ。  俺は正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ  正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ  正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ正常だ  正常だ正常だ正常だ正常だ  正常だ    俺は、正常だ。                               ――狼狐』   「若かったなぁ、俺も」   二、三日前に自分が書いた文章を読み返した俺は、その文が書かれた紙に火をつけ灰皿に捨てて――アリスの壁を優しく撫でた。   「さぁて、今日はどんなアリス料理を作ろうかなぁ!」