「もうすぐ、産ま、れるこの子に。どんな、なま、名前を、つけましょう……」    ――永遠亭に急遽作られたほの暗い地下牢獄に、全裸のアリス・マーガトロイドのか細く、途切れ途切れの歌声が響いた。  愛おしそうに、慈愛の笑みを浮かべ、ぷっくりと膨らんだお腹を撫でながら――ココロが壊れた少女は歌い続けていた。  と、がちゃりと牢獄の鍵が解かれ、その扉が開いた。扉の向こうに立っていたのは永遠の従者、八意永琳。  何の言葉も発することなくてくてくとアリスに近づいて、ぷっくりと膨らんだ彼女の腹をじぃ、と眺めた。   「いい塩梅ね」    そう一言だけ呟いて、永琳は顔に笑みを浮べた。一方でアリスの表情には何の変化もない。  ただ、自分のお腹をひたすらに撫で続けるだけ。嬉しそうに、嬉しそうに――   「もうすぐ産まれるわね。そうすれば、そうすれば!」    永琳が感極まったかのように手を胸の前で組んで、上を見つめて叫ぶ。   「輝夜は、きっと絶対に間違いなくとてもとてもとてもとてもとても喜んでくれるわぁ!」                  事の始まりは至極単純で、とても間抜けだった。   「兎の子供も飼いたいわ」    永遠亭に住む兎たちが庭で遊ぶ様子を眺めながら、誰に聞かせるでもなく、永遠亭の姫――蓬莱山輝夜が呟いた言葉が原因。  とっても小さい兎も飼ってみたいなぁとただそれだけの意味の言葉だったのだが――声が小さすぎた。  ――子供も食いたい、ですって?    輝夜の傍らにいた永琳はそう『聞き間違えた』。それが元凶。    ある種の偏愛とも言える忠誠力で、彼女はすぐさまその願いを叶えてやろうと動き出した。  手ごろで丈夫な雌――アリスを捕まえ、兎の雄たちが人間の精子を出せるように『改造』。その兎たちにアリスを襲わせ――孕ませた。  元々異常な性欲を持ち、しかも五十匹ほど導入された兎たちに、休む暇もなく犯され、  アリスのココロはあっさりと砕け散ってしまったのだが――永琳が罪悪感を抱くわけもなく。  それはそうだろう、全ては主のためだとそう割り切っているのだから。                そして話は地下室へと戻る。   「まだかーしら♪ まだかーしら♪」    まるで恋に恋する乙女のような表情を顔に貼り付けて、永琳は上機嫌にくるくると回っていた。  すると――   「うぐ……」    突然、壊れた顔で壊れた歌声を垂れ流していたアリスがうめき声を上げた。   「あらあら。なんて素晴らしいタイミング。始まったわね、陣痛が!  そうねそろそろだと思っていたわ。十月十日、まさに今日がそうじゃない!」    もちろん十月十日というのは飽くまで目安であり、その日に確実に産まれるというわけではない。  永琳はおそらく待ちきれなかったのだろう。主の喜ぶ顔を――   「さぁアリス、出産の時間よ!」    そう叫ぶなり、永琳は胸元からメスを取り出して、アリスに近づいた。  痛む腹を抱えて蹲るアリスを足で蹴飛ばして、仰向けにすると――その上に、圧し掛かった。  そしてアリスの膨らんだ白いお腹に、ざっくりとメスを突き刺した。   「いぎぁぁああぁぁあぁぁあぁ!!」    陣痛とは比べ物にならない痛みに、アリスが大きな悲鳴をあげる。耳触りだったのだろう、その口に永琳は勢いよく拳を打ち込んだ。  あっさりと意識を飛ばしたアリスに構うことなく、永琳はすぅ、とメスを動かす。  人体を切り裂くために作られたその刃は、すんなりとアリスの腹に大きな切れ目を入れた。   「さぁ、どこかしら、美味しい赤ちゃん。アハハハハ」    メスを傍らに置いてそう笑いながら、永琳はその切れ目にぐい、と指を突き入れて――開いた。   「あら、子宮までは切れてなかったのね」    永琳の右手が再びメスを握って、アリスのお腹の下にあった大きなそれに切れ目を入れる。メスを握っていない左手をそこに突っ込み――   「あぁいたいた」    アリスの子宮から、彼女の子供を取り出した。   「やっと採れたわね。さて、どうしようかしら。焼こうかしら茹でようかしら。それともいっそ生で?」    そんな物騒なことを呟いていると――   「おぎゃあああああ! おぎゃああああ!」    ――赤ん坊が、泣き出した。  偶然ではあろうが、先ほどの陣痛は本当に産まれる前の陣痛だったのだろう。  赤ん坊は元気よく、この世に生まれ得たことを感謝するかのように泣き声を――   「黙れ」    止めた。赤ん坊を掴んでいた永琳が、その手で首を絞めたのだ。   「あぁもうしまったわ! これじゃ踊り喰い出来ないじゃない!」    生後5秒の赤ん坊を掴んだ永琳が地団太を踏んで暴れだす。  だがすぐさまその動きを止めると、にへへと気持ちの悪い笑みを浮かべた。   「ま、いいわ。折角だから内緒にしておきましょう。 『ねぇ永琳』 『何かしら』 『おいしいわこのお肉』 『そうでしょうそうでしょう』 『何のお肉?』 『貴方が前に食べたいと言ってた子供の肉よ』 『まぁ嬉しいわ永琳! ありがとう! こんなにおいしいなんて!』 『喜んでもらえて嬉しいわ』 『そうだ、私たちも子供を作りましょう! そして 食べましょう! さぁ永琳、ちゅっちゅタイムよ!』  なんて光景が目に浮ぶわ!」    声色をコロコロと変えて独り言を叫ぶ狂った従者の愚かな言葉を聞く者はなく。狂気と狂喜が織り交ざった声は地下室の中に篭って消えた。         ――夜、永遠亭の座敷。   「あら、今日はなんだか珍妙な料理があるわね。しかもそれだけしかない」 「あ、姫様!」    鈴仙がせっせと料理を並べている座敷の扉ががたりと開き、美しく透き通った声が響き渡った。月の姫、蓬莱山輝夜である。  机の上に置かれた料理は、シンプルな肉のしょうが焼き。勿論例の肉を使って作られたものだが――それを輝夜が知りえるはずもない。   「ですねー。実は今日の姫様のお食事は全部、師匠が作ったんですよ」 「へぇ、永琳が? 何百年ぶりかしら」 「いやいや、ことあるたびに勝手な姫様記念日作っては手料理作ってらっしゃるじゃないですか」 「そうだったかしら」    そう言って輝夜は手で口を隠してくすくすと笑った。   「さぁさ姫様、お座り下さい。手を洗いに行かれた師匠もすぐに戻ってきますから」 「えぇ」    鈴仙に促され輝夜が優雅に座った途端、襖が勢いよく開いた。   「ま、間に合ったようね」 「心配しなくても、永琳がいなきゃ食べ始めたりはしないわよ」    からかうように、再び輝夜が笑う。釣られたように永琳も照れ笑いをした。   「それじゃ、いただきます」 「えぇ、味わって食べてね。特製料理、なんだから」 「私は失礼いたしますねー」    職人が魂を注ぎ込んだ美しい硝子細工のような手に箸を持ち、輝夜が料理に腕を伸ばす。  箸の先で上品に優雅に肉を一切れつかみ、口へと運んでいった。  もぐもぐと頬張る輝夜の横顔をにやけた表情で眺めながら、永琳は次の言葉をじっと待ち続けた。   「ねぇ永琳」 「何かしら」    ついに来た、とばかりにいつもより輝いた笑みで永琳は輝夜の言葉に答えた。   「おいしいわこのお肉」 「そうでしょうそうでしょう」    首が折れてしまうのではないかと思うほどに、永琳は首を上下に振った。   「なんだか、懐かしい味がするわね」 「貴方が前に……え?」    輝夜の言葉で――どろりぐにょりと、永琳の脳に狂気が染み出し始めた。           ――深夜、永遠亭。永琳の自室。    輝夜が食事を終え就寝の挨拶を交わすなり、永琳は猛スピードで自室へとかけ込み、ガン! と壁を殴りつけた。   「どういうことよ……どういうことよ……」    ガンガンと壁を叩きながら、閻魔すら逃げ出してしまいそうな声色で彼女はそう呟く。   「誰の? 誰のを食べたの? 私は知らない、知らないわ!」    壁を叩く速度が上がっていくにつれ、彼女の声も次第に大きくなっていく。   「……そうよ、そうよね。一人しかいないわ。私の輝夜の生涯の中で――私の手に乗らない異端は、異分子は、異物はただ一人!」    永琳の手が、今度は壁を引っかき始める。がりがりと、がりがりと――   「藤原妹紅ぅ!! そうよあの女よ、あの女に違いない! あの売女、輝夜に気に入られるために孕んで産んで食べさせたに違いないわ!」    ちょっぴりお茶目で負けず嫌いの月の姫が、食べたことのない味を懐かしい、と言ってみただけなのだと知るよしもなく――   「忘れさせて上げるわ輝夜! あんな女の肉なんてェ!!」    従者の狂気はただ、加速していく。           ――地下室。   「あぁよかったわアリス! まだ生きていたのね! さっすが人外!」    再び地下室へ舞い戻ってきた永琳は、虫の息ではあるものの辛うじて生きていたアリスをぎゅう、と抱きしめた。   「私の、子供は……子供は、どこ……?」 「すぐに治療してあげるわ。待っててね。もっと素晴らしい体にしてあげる」    アリスの呟きを無視して永琳が叫ぶ。己が腹を痛めて産んだ子を探し求める母親の声など、狂った従者の耳には入らないようだ。   「私の子供ぉぉぉ……」 「貴方にはまだまだ産んでもらわなきゃ! あは、あははははは!」    凄まじく興奮している永琳が、普段ではあり得ないような甲高い笑い声を響かせた。   「私の子供ォはァ!!」 「黙れ」    さっきまでと真逆の表情を浮かべた永琳が、またもやアリスの顔面に拳を打ち込んだ。   「子供ぉ……子供はぁ……」    兎達に散々蹂躙され切ったアリスにとって、もはや生きる希望は生まれる子供のみだったのだろう。  以前とは違い意識を飛ばすことなく、子供を捜し続ける声を口から吐き出していた。   「うっさいわねェ、どうしようかしら。睡眠薬でも……ずっと飲ませなきゃいけないわね。味が悪くなりそう」    飽くまで淡々とした口調で、顎に手を当てて永琳は呟く。   「声帯潰そうかしら……面倒ね。あ、そうだわ」    閃いた! とばかりに、永琳がきょろきょろと牢獄の中を見回した。  と、何かを見つけて牢獄の隅の方へと歩いていき――そこに捨てられていた上海人形を拾って、アリスに手渡した。   「ハイこれ。貴方の子供よ。ちゃんと返してあげるから、静かにしててね」 「ありがとう……。あぁ……私の赤ちゃん……。うふふ、はじめまして――」    壊れた脳は母親としての本能すら無くなってしまっているらしい。渡された上海人形をアリスはぎゅうと抱きしめた。  嬉しそうに、嬉しそうに――   「さて、それじゃアリス。何日かしたら手術を始めるわね」    そう声をかけて、永琳はアリスのお腹の切れ目に両手を突っ込んで――ぶちりと、子宮をもぎ取った。   「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」 「『コレ』はちゃあんと『修理』と『改造』をしておくわ。ちょうどいい切れ目もあることだし〜♪」    鼻歌を歌いながら、永琳は持ってきていた麻袋に子宮をねじ込んだ。   「作り変えて、大きくして、繋げてあげるわ。その切れ目が女性器の入り口代わり。そこから受精できるように。出産できるようにしてあげる」    余りにも狂い切った言葉を平然と叫んで、彼女は笑う。   「待っててね。楽しみにしててね。たくさん、食べさせてあげるわ」    誰一人として望んでないことを、誰もが望んでいるかのように従者は叫ぶ。  とはいっても――今の彼女には主以外の全てが存在しないのだけれど。       ―― 十ヵ月後。    牢獄の中で、アリスは壁に背中を預けて座り込んでいた。正確に言えば、そうすることしか出来ないのだが。  アリスのお腹は再び大きく大きく膨らんでいた。直径十mは軽く越えている。中に詰まっている胎児は十人は超えているだろう。  そういう風に孕めるように、また命を繋ぐのに最低限のことは出来るように――彼女は作りかえられたのだ。  腕は三倍ほどの長さになり、肘も増えた。足も、顔も、全てが作りかえられて。  今のアリスを十人が見たら十人とも嘔吐しながら叫ぶだろう。『化け物』と――   「もうすぐよ、貴方の弟や妹が、ここからたくさん生まれるわ……」    大きく膨らみすぎたお腹のせいでまるで動けないアリスだが、その醜く歪んだ右手には上海人形を愛しそうに握り締めていた。   「……あぁ。今お腹を蹴ったわ」    化け物のナリをしているというのに呟く言葉は何処にでもいる母親のよう。   「じゃあ、もういいかな」    だが続いて彼女が吐いたその言葉は、やはり壊れ切った化け物の言葉だった。  小さな小さな声でそう呟くと――上海人形を傍らに置いて、過去に永琳がそうしたように、アリスは自分のお腹の切れ目に長い長い腕を差し込んだ。   「えーと……どれかな」    ぐちゅりぐちゅりと胎をかき回す音が牢獄に響く。ある種この世の終わりのような光景ではあるが、アリスの表情は満面の笑みだ。   「あぁ、いたいた。さぁ、産まれておいで」    うふふ、と笑いながらアリスは自分の胎から腕を引き抜いた。その手にはもちろん――産まれたばかりの赤ん坊が掴まれていた。   「はじめまして、私の赤ちゃ――」    突然、アリスは言葉を止めた。掴んだ子を床に乱暴に置き、再びお腹に腕を差し込んで別の胎児を引き出す。  それを何度か続けて全ての子供を取り出したあと――アリスは悲鳴をあげた。   「違う! 違うわ! 全部が全部違う! 私の子がこんな醜いはずがない!」    そう叫んで、先ほど置いた上海人形を持ち上げる。   「この子のように可愛いのが私の子供! こんなものは、違う!」    化物から生まれたにも関わらず、健康そうな『普通の』胎児たちを睨み付けて、化物はただ喚いた。  その叫び声に反応したかのように、床に置かれた胎児たちが一斉に泣き始める。  母親に否定された悲しみゆえか、それとも――自分の未来を感じた絶望ゆえか。それは誰にも分からない。   「失敗作よ、これは失敗! やり直し、やり直し、やり直し、やり直し、やり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直し  やり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しやり直しぃぃぃぃぃ!!」    金切り声を上げながら――化物は長い腕で胎児を口へと運んだ。