目を覚ますと私、アリス・マーガロイドは起きるなり途轍もない痛みに教われました。  痛みの元はどうやら舌のようで、まるで何かが私の舌を締め付けているかのように痛みました。   「痛い、痛いわ」    誰に訴えるでもなくそう呟きながら私は鏡へと向かいました。  顔を見る以外の目的で鏡に向かうなど始めてかもしれないと妙に冷静なことを考えながら私は鏡に向かってあっかんべぇをしました。   「なんてこと」    驚いたことに、何処から私の口の中へと入り込んだのか、大きく黒いクワガタのような虫が私の舌に絡み付いておりました。  これは痛いはずだ、気持ち悪いと毒づいてとりあえずコップに水を入れて張り付いた虫にドボドボとかけました、が虫は動じません。  無理矢理引っぺがそうかと虫を手で掴んでみたものの、虫は締め付ける力を強めるだけでまるで剥がれませんでした。  これは困ったと悩みましたが、そうだ鋏でも刺せばいいのよと私は思いつき早速鋏を持ってきて虫に突き刺しました。   「あぁっ」    ですが虫は器用にその鋏を避けてしまい、虫に刺さるはずだった鋏の先端は私の舌にぶっすりと刺さりました。  痛みに苦しみながらもダラダラと流れる血を見つめひょっとしてこの血で虫も滑り落ちてくれるのではないかと少々の期待をし顔を上に向けました。  しばらくする内に期待通り虫は剥がれてくれました、しかしあろうことか剥がれた虫は私の口の奥へと落ちていったのです。  予想出来た事態ですがどうやら私の頭は痛みで思ったより回転していなかったようで、異物が体内へと入り込む気持ち悪い感覚が私を襲いました。   「あっ痛い、痛い」    どうしようかと首を傾げていると、今度は猛烈にお腹が痛み出しました。まるで胃を誰かがつねっているかのように。  誰かが誰なのかは簡単に推測が出来ました、さっきの虫に違いありません。口に絡み付いていたときより激しく鋭い痛みが連続的に私を襲いました。  耐えられなくなった私は、いっそ虫を取り出してしまえと思い裸になってごろりと床に横たわりました。  首を少しだけ上に上げて、私は利き手で持った鋏の刃を自分のお腹に刺しました。痛みのせいか痛みはありませんでした。  そのまま鋏をちょきちょきと動かして、自分のお腹に大きな大きな切れ目を入れました。  このぐらいでいいだろう、と私は鋏を床に置いて切れ目に両手を突っ込んでがばりと開きました。  噴水のように血でも流れ出るのではとどきどきしましたが、溢れ出てきたのは大量の真っ黒な何か。なんだろうこれはと私はその一つを掴んで顔に近づけました。   「これは、まさかこれは」    そう、黒い何かは小さな小さな黒い虫でした。先ほどの虫が卵でも産んだでしょうか、夥しい量の虫たちが私のお腹の中から現れたのです。  いえ、現れたというのは正確ではないかもしれません、よく見れば虫たちは私のお腹をむしゃむしゃと食べていたのですから。  つまりは彼らは私の切れ目から溢れ出したのです。その溢れ出た虫たちは内側の肉は飽きてしまったとばかりに今度は皮膚ごと私の表面を食べ始めました。  美味しそうに嬉しそうに楽しそうにあるいは何の感情もなく虫たちは私の血肉を貪り続けます。  私は悲鳴をあげて自分の顔に両手を当てました、しかし返って来たのはゴツゴツとした感触でした。  今度はなんだとぐるりと顔を横に向けて鏡をみれば、私の顔は乳房だらけになっていました。  驚きで顔を鏡に近づけてよくみてみるとそれは乳房ではありませんでした。  たしかに乳房のような膨らみが顔面のそこここにありましたが、黒い乳首に見えたその部分は割れ目だったのです。  そこから突如としてぴょんと最初の大きな虫のような足が出て、割れ目を押し広げてぐちゅぐちゅと全身が現れました。  それに続くように他の膨らみからも虫たちがどんどん、どんどん這い出てきました。   「あっ、しまった」    現実逃避とばかりにそんな光景を眺めているうちに、私の体はいつのまにか殆ど黒い小さな虫に食べられてしまっていました。  残っているのは首だけ、ですがそれが食べられてしまうの時間の問題、大きな虫が自分が這い出た膨らみをもしゃもしゃと貪り始めたのですから。  ふと左目が何かに遮られたかのように真っ黒になりました。残った右目を左に大きく動かすと、黒い足が見えました。  どうやら目玉も大きな虫が産まれる場所になっていたようで。  せめてその這い出る光景を見れないかと右目の位置を保ち続けましたが、それも叶わず私の意識は虫たちの体のように真っ黒に染まっていきました。       ――目を覚ますと私は私の顔とおぼしきものの上にいました。  あぁ違う、思い出しました、私は私ではなく私を喰らう虫。  いえ、私は虫なのですから私を喰らう虫ではなくアリスを食らう虫なのです。  先ほどまでの光景は白昼夢だったようで、何故あんな夢を見たのだろうと周りを見渡すと  いつのまにか私が私の兄弟たちと共に貪っていたアリスの体は透明な壁のようなもので囲まれていました。   「どう、いい夢は見れたかしら」    そんな声が私たちにかけられました。声の主を探してみるとそこには金髪の美しい女性が立っておりました。  どうやら先ほどの白昼夢はこの女性が見せたよう。喰らわれるアリスの気持ちを分からせようとしたのでしょうか。  ですが夢の主様よ、これは私達が生きるのに必要なことだったのです。なのにどうして罪悪感が沸きましょうか?   「それもそうね、ごめんなさい」    くすくすと笑う女性にただの虫であるはずの私は震えました。得体の知れない、何を考えているかも分からない。  生命の短い生物にとってこの二つがどれほどの恐怖であるかわかるでしょうか? いっそ彼女を無視して血肉の貪りを再開しようかと考えました。  おそらくこの壁は私たちを逃さずまとめて殺すために作られたのでしょう、ならば死を受け入れ最後の晩餐に集中したほうがよいに違いありません。  もちろん彼女がいますぐ次の瞬間に私たちを殺す可能性もあります、だからこそ一口でもこの血肉を――   「いいわよ、待ってあげる。その肉を喰らい切るまで」    私の思考を遮るように投げられたその慈悲深い言葉に、私は思わず涙しました。なんと優しく美しい方なのでしょう。  見れば他の兄弟たちも涙を流しています。どうやら全く同じ思考をし同じ気持ちを抱いたようで。  一頻り感謝と感動の混じった涙を流したあと、私たちは美味しそうに嬉しそうに楽しそうにアリスの死肉を再び喰おうじゃないかと口をあけました。  が、突如としてだんだんと私の視界が暗くなっていきました。どうやら今こうやって何かを考えている私という人格もこのお方に作られたものだったようで。  それを今このときに奪う彼女はやはり慈悲深くも優しくもない恐ろしい方だったのだと思いながら――私の意識は私たちの体のように真っ黒に染まっていきました。