「はぁ……何なのよ、これ」 そういってため息をつく。私――アリス・マーガトロイドの左手の甲には、線が書かれていた。 すべては誤解から。人里で食事をして、机の上に代金を置いたのだが、誰かがそれを盗んでしまったらしく、私は無銭飲食の罪で捕まった。 そうして課された罰がこの妙な黒い点線。罪人が罪人であるとわかりやすくするものなのだろうか、水で洗っても落ちなかった。 だが、だからといって私はビクビクするつもりはなかった。今もこうやって、私は何もしていないという態度で堂々と人里を歩いている。 皆もそれをわかってくれているのだろう、人里でいつものように人形劇をやりたいと頼んでも、嫌な顔ひとつされずに了承してもらった。今はその帰り。 ――いつか必ず、皆の誤解を解いてみせるわ。 そんなことを考えていると、てこてこと子供が近づいてきた。先ほどの人形劇を見に来てくれた子の一人なのだろう、にこにことした顔だ。 私もそれに笑顔で返し、しゃがみこんで頭を撫でようと左手を伸ばした――バチン。 「えっ?」 一瞬何をされたのか分からなかった。が、次の瞬間に訪れた痛みですべてを把握する。 ――私の左手がぽとりと下に落ちて。その断面から血がどぼどぼと流れ出していた。 「いぎぃぃぃあぁあぁぁァ!?」 痛みのあまりに悲鳴を上げて、子供を突き放した。近づいてきた子供は、大きな鋏を持っていた。その鋏で、私の左手を切ったのだっ! 「な、何をするのよッ! あぁああぁぁあぁぁあぁあぁあ!!」 声を上げていると、すぐさま人里の人たちが集まってきた。そして――私を羽交い絞めにする。 「な、なんで!?」 痛みと困惑で混乱していると、騒ぎを聞きつけたのか、私に線を入れた男が近づいてきた。 「子供に危害を加えるなんて……更に線を追加だ、反省の色もないようだしな」 そういって、男は胸元から出した筆で今度は私の両足首に線を入れた。と、突然拘束を外される。羽交い絞めから抜け出そうと暴れていた私は、どさりと倒れた。 すると。周りで私を見ていた人たちが群がるように近づいてきた。――全員、その手に鋏を持って。 「あああああああああああああああああああああああああああああ!!」 逃げ出そうとする間もなく、足首に鋏の刃が当てられる。少しずつ込められた刃が、私の服を切り、皮を切り、肉を切り――バチンと、骨を斬った。 間髪いれず、もう片方の足首も落とされた。痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイタイタイタイ!!! 「やめてよォッ!」 そう叫びながら、手を振り回す。その手が、私に線を入れた男にがつりと当たった。 「ぐっ……執行官に危害を加えるとは、なんて凶悪な」 そう呟くと、再び男は筆を取り出して今度は私の右手指の間接一本一本に線を入れていった。 一本入れるたびに、いつのまにか拘束されていた私は、集まっていた人たちにばちんばちんと指を落とされていく。 入れ替わり入れ替わりに、一人一回ずつ、私の指をばちんばちんと切っていく! もはや悲鳴は声にならなかった。 私が、私が何をしたっていうの! そう心の中で叫ぶも、断続的な、しかし次々に私を襲う痛みは止まらない。 時折切る者に混じる子供は切るのに慣れてないのか、一回では切れずに何度も何度も鋏を閉じる。 大人は躊躇いなく鮮やかに私の指を切り落とす! 別種の痛みが不規則に私を痛みつけ、頭がどんどん麻痺していく。 血もどんどん流れ出し、私の思考はもうまともに働かない。助けて、誰か、助けて! そう口に出しても、まるで聞こえてないように容赦されることはなかった。 いつのまにか線は私の手だけではなく脇腹や肩や太ももなど体中に書かれていた。そこすら鋏を入れられ、パックリと音がしそうな傷が出来る。 ぐにゅぐにゅとその開いた傷に筆を入れられ、出たと思った瞬間には今度は鋏を入れられた。内臓がばちん、と切られる。 いつのまにか服はぼろぼろに切り刻まれていて、私は裸の状態になっていた。だが、それでも線は書かれていく。 露出した肌にくすぐったい感覚がしたかと思うと、すぐさま痛みが来て、更に血が流れていった。 ――もう嫌だ。 そう思った瞬間、私の体は勝手に動いていた。ぐちゃぐちゃ寸前の体は、私を抑えていた人の腕に噛み付いて拘束を引き剥がし、落とした鋏を口で咥えて飛び出した。 足が無くても空は飛べる。どぼどぼと流れ出る血に構わず、私はどんどん上昇していく。だが、……そこで限界だった。 今度は、体がゆっくりと落ちていく。落ちた先には――大きな水溜りがあった。そこに、裸の私が写っていた。全身傷だらけで、線だらけ。 だが―― 一箇所だけ、線が書かれていない場所があった。首筋。そこだけは、真っ白だった。 「どゔぜころ゙ざれ゙る゙なら゙っ!」 私の頭は完全に狂い切っていた。でも、いや、だからこそ――思考は一つに纏まっていく。 線が書かれているから切られるなら、……線以外のところを切って死んでやる。咥えていた鋏をどすり、と地面に突き刺し、口で刃を開く。 そして私は大きな鋏の刃に首を当てて。 少しずつゆっくりと力を込め、首を刃の方向へと―― ぼとりとアリスの首が下に落ちて、彼女の思考は闇へと消えた。首の後ろに書かれた線に気づくことも無く。