ぐちゅりと、何かを潰す音が鳴った。 ――博麗神社。そこでは、人妖入り乱れた宴会が開かれていた。 いつもは理由なく行われることが多いが、今日は違う。祝いの席としての宴会だった。 祝われるは魔理沙。理由は彼女が愛しそうに抱いている猫にあった。 それは魔理沙がとある日に拾ってきた猫で、先日使い魔の契約を結んだのだ。 嬉しそうに「これで魔女に更に一歩近づいたぜ」と話す魔理沙を見て、 宴会の参加者たちも皆、心が暖かくなるような気分になっていた。 だが――魔理沙のペットらしく、その猫は酷く気まぐれだった。 喜びのテンションに任せて酒をぐびぐびと飲んで潰れてしまった魔理沙の腕からするりと抜け、境内をてこてことのんびり歩き回っていた。 アリス・マーガトロイドは、そんな猫の姿を見かけ、その後を追いかけていた。 何処かにふらふらと行って妖怪にでも食われたりしたら大変だ。 魔理沙を悲しませたくはないと、走って追いかけて――転んだ。猫に手が届くという距離で。 手に持っていた本を持っていたのが悪かったのか、地面に手を着くこともできず倒れた。 そして――ぐちゅりと、何かを潰す音が広がった。 「猫ー? おーい、何処行ったー?」 境内で魔理沙が大きな声で彼女自身の使い魔を呼んでいた。使い魔とその契約者の感覚は往々にして共有される。 眠っていた彼女の体に鋭い痛みが走り慌てて起きた彼女は、自分の体に何の異常もないことが分かると、 使い魔に何かが起きたのではないかと、不安そうに使い魔を探し始めていた。 異常に気づいた他の者たちも捜索に加わり、全員で猫を探す。と、突然叫び声が当たりに響いた。 「猫……嘘だろ……まだ名前もつけてないのに……!」 皆が慌てて声の方へと行くと、魔理沙が地面に膝をついて大粒の涙を地面に落としていた。 彼女の視線の先には――赤い花びらが咲いていた。潰れた、猫の死体がそこに転がっていた。 「眠らせてきたわよ。……暴れそうだったから、無理矢理気絶させることになっちゃったけど」 珍しく悲しそうな目をした霊夢が、皆に向かってそう呟いた。その拳は強く握り締められている。 親友をここまで悲しませた原因が許せないのだろう。それは他の皆も同じだった。 魔理沙の性格は、霊夢とは別の意味で「分け隔てがない」。どんな罪を背負おうと、どんな過去を送ろうと、 彼女にとっては何の障害にもならなかった。礼儀を知らない彼女は、平気で皆の中へと土足で入っていく。 最初は不快でしかないはずのその行動は、いつのまにか自ら望むようになる。ある意味では、幻想郷で一番性質の悪い存在。 だが、いや、だからこそ――多かれ少なかれ、皆、魔理沙には好意を抱いていた。友人として、恋愛として、あるいは家族として。 ゆえに、神社の境内はいまにも爆発しそうなほど、不穏な空気が漂っていた。皆、猫の死体を見ているのだ。 その死体は――明らかに何かに潰されて、首の骨が折れていた。 「……さて。誰が犯人かしら?」 霊夢が呟く。だが、誰も名乗りでなかった。無論、アリスも。 「魔理沙をあんなに悲しませた時点で極刑に値するけど。名乗り出ないなんてね。……どうしてくれようかしら?」 「れ、霊夢? ……事故の可能性はないの?」 両手で腕を組んで立っていたアリスがそう霊夢に問い掛ける。だが、霊夢はふるふると首を振った。 「ないわ。明らかに人為的。血の量が少ないのよ。多分、魔理沙の猫を潰した何かにべったりとついているのでしょうね。  ……ひょっとしたら転んで踏み潰したのかもしれない、なんて思ったけど。誰も服に血がついてないわ」 霊夢が皆を見回す。誰も彼も、綺麗な服のままだった。そう、誰も彼も皆。アリスでさえも。 「ま、……もう犯人は分かってるんだけどね」 「えっ?」 てこてこと――霊夢は真っ直ぐに、アリスの方へと歩き出した。 潰れた猫から逃げ出して何でもないような顔をして宴会に再び参加したアリスは内心ビクビクしていた。 魔理沙に正直に話して、誠心誠意謝ろうかとも思った。だが、魔理沙は決して許せないだろうし、何より皆も許さないだろう。 どんな目に会うかと想像しただけで、アリスは自分の背筋が凍りつくのを感じた。 だから、魔理沙の目が覚めて、猫を探し始めたときも、何食わぬ顔でそれに参加した。 嘆き悲しむ魔理沙の姿に心を痛めつつ、顔は哀れむような表情を無理矢理貼り付けた。 そして始まった犯人探し。霊夢が自首を勧めているが、アリスは応じなかった。 私がやったという証拠はない。ばれるはずはない。絶対にバレるはずはない――そう思ったアリスのところへ、一直線に霊夢が歩いてきた。 「ねェ、アリス」 「……何かしら」 「貴方、本は?」 指先から脳みそまでが凍りつくような感覚が、アリスを襲った。 「何を言ってr「貴方がいつも持ち歩いている本よ。何処へやったのかしら?」 アリスが転んだとき――咄嗟に彼女は手を伸ばしていた。本を両手に持って、それを前へ突き出すように。そしてその本が、ぐちゅりと猫を潰した。 だが潰したといっても首の骨を折る程度、返り血は少なく、運のいいことにアリスの体には一滴の血もつかなかった。 ――いや、運がいいとは言えないのかもしれない。決定的な誤解を、彼女らに与えたのだから。 「……ねェ。もう分かってるの。貴方がいつも持っている本で潰したんでしょ?」 アリスが猫を殺したのは飽くまで事故だった。そして、本が返り血を防いだのは偶然。 だが、それは観測者のいない真実。霊夢たちにとっての真実は、 ――「アリスが故意に猫を殺した。返り血のつかないよう、本を凶器に」。ただ、それだけだった。 それから、アリスの生き地獄が始まった。犯人がアリスだと発覚してから、皆はすぐに家へと帰った。 何をされるのかとビクビクしていたアリスだったが、結局何もされはしなかった。 そう、何もされなかった。一切、……その日から、ずっと。 何処へ行っても、アリスの存在は無視された。人里、神社、紅魔館、白玉楼、永遠亭、妖怪の山、香霖堂。 全ての場所で、彼女は無視された。まるでそこに誰もいないように。 人里が一番酷かった。子供に石をぶつけられたかと思うと、すぐさま親が飛んできた。 だが怒るのではなく、諭すだけ。「何もない方向だからって無闇に石を投げちゃ駄目よ。誰かに当たってしまうかもしれないから」 明るい魔理沙は人里でも人気があったらしい。店へ行っても店員は反応しないし、歩けば突然誰かに頭を殴られる。 だが振り向いても誰もいない。見ていたはずの人々に犯人を尋ねても、無視されるだけだった。 耐え切れなくなって、魔理沙の家へと行って謝ろうとした。だが、魔理沙の家には常に誰かがいた。 霊夢、パチュリー、にとり、霖之助、時には紫や神奈子までも。 家に入って魔理沙話しかけようとしても、その誰かはアリスを無視して魔理沙に喋り続ける。 魔理沙自身も、ペットを殺したアリスと関わり合いになりたくないと、若干の恐怖と共に涙をこぼしながら目を逸らした。 ついにはアリスは家の中に閉じこもり出した。何処へ行っても無視されるし、隙あらば攻撃される。 ならばもう家から出ないほうがいい。そう思って体育座りで部屋の隅で固まり続けた。 もう永遠に一人でいい。彼女はそう呟きつつ、全てを呪って閉じこもり続ける。 ――殺したことを謝らずごまかそうとした自分自身が一番悪いなどと考えもせずに。